中津市のお寺さん巡り

城下町中津と旧市街、新市内、旧下毛郡内のお寺さん紹介
中津市には数多くのお寺さんがあります。中津城とその城下町を造る際に東側の外堀に沿ってお寺が隣接した
寺町を作り、また その外周部にもお寺を配置することによって、中津城下町を守る防御線となりました。 お寺の裏側に土塁を設け、その外側に外堀があるので 外敵の侵入を阻んだと思われます。今では 道路事情も変わり 昔のなごりは少なくなりましたが、ふと目にした一枚の写真から何かを感じ取って頂けたら幸いです。

地域 中津市耶馬渓町

 岩洞山 久福寺

宗旨  曹洞宗

本尊  

住所  〒871-0401 大分県中津市耶馬渓町平田39

久福寺1 久福寺2
案内 参道
案内看板。→ →参道に掲げられた幟。刻まれし一三〇〇年奈良時代開闢の里 岩洞山 久福寺 観音堂 久福寺保存会 岩屋→

 

久福寺3 久福寺4
案内看板 久福寺門前宝塔
→勝宮守と子戸自売の墓 勝宮守は、天長年間下毛郡擬大領(郡の長官)として 蕨野(本耶馬渓多志田)に住し、厳洞山久福寺を開基。天長四年(八二七)丁末十月十八日寺を創建した。 妻の子戸自売は十五才で夫勝宮守と結婚、日本後記に名を知られた賢女で、夫勝宮守の死後はひとりで空房を守り 四十八才にて遂に世を去った。墓は、境内左手の円通洞と称される岩窟の中にある。(昭和五十三年十二月一日指定  有形文化財) 久福寺門前宝塔 久福寺門前の岩の上に建っており、石造で見た目にも優美で、全体的に整った 形をしており推定で、室町時代末期の造立と思われる。総高 一五〇p・基礎は三重の一石・塔身は茶壺形。 屋根は照屋根で軒先二重・相輪の請花は単弁の八弁で宝珠と火焔はない。(昭和五十年一月十日指定 有形文化財) 中津市教育委員会→ →久福寺門前宝塔全景。→

 

久福寺5 久福寺6
本堂 本堂
→本堂全景→ →本堂を正面左の側面から。→

 

久福寺7 久福寺8
本堂 本堂
→本堂入口→ →本堂を正面から。→

 

久福寺9 久福寺10
本堂 表柱
→本堂に架かる半鐘→ →勝宮守及び子戸自売の墓。→

 

久福寺11 久福寺12
岩窟観音堂 岩窟観音堂
→岩窟観音堂全景→ →岩窟観音堂への石段。→

 

久福寺13 久福寺14
円通洞 円通洞
→円通洞全景→ →円通洞全景。→

 

久福寺15 久福寺16
参道 参道
→参道脇の石造→ →参道脇の石造。→

 

久福寺17
参道
→参道脇の銀杏の大木→

 

 

 

 三慧山 西浄寺

宗旨  浄土真宗本願寺派

本尊  阿弥陀如来

住所  〒871-0401 大分県中津市耶馬渓町大字平田1004

西浄寺1 西浄寺2
掲示板 案内看板
眠れない夜を 嘆くものは多いが 目覚めた朝に 感謝するものは少ない。→ →西浄寺 大内義隆書の扁額。→

 

西浄寺3 西浄寺4
山門 山門
→山門全景。→ →山門全景。→

 

西浄寺5 西浄寺6
山門 山門
→山門から本堂を見る。→ →山門を境内側から。→

 

西浄寺7 西浄寺8
鐘楼 鐘楼
→鐘楼全景。→ →鐘楼全景。→

 

西浄寺9 西浄寺10
鐘楼 鐘楼
→鐘楼全景。→ →鐘楼全景。→

 

西浄寺11 西浄寺12
本堂 本堂
→本堂全景。→ →本堂全景。→

 

西浄寺13 西浄寺14
本堂 本堂
→本堂全景。→ →本堂全景。→

 

西浄寺15 西浄寺16
本堂 本堂
→本堂正面。→ →本堂正面に架かる「三慧山」の扁額。→

 

西浄寺17 西浄寺18
本堂 本堂
→本堂に架かる太鼓。→ →本堂内の景色。→

 

西浄寺19 西浄寺20
本堂 本堂
→本堂内の景色。→ →本堂内の景色。→

 

西浄寺21 西浄寺22
本堂 本堂
→本堂内の景色。→ →本堂内の景色。→

 

西浄寺23 西浄寺24
本堂 本堂
→本堂内の景色。→ →本堂内の景色。→

 

西浄寺25 西浄寺26
境内 境内
→境内に置かれた旧鬼瓦。→ →井戸。→

 

西浄寺27 西浄寺28
三慧閣 三慧閣
→三慧閣全景。→ →三慧閣正面玄関。→

 

 

 

 瑞応山 円徳寺

宗旨  曹洞宗

本尊  

住所  〒871-0404 大分県中津市耶馬渓町大字戸原116

円徳寺1 円徳寺2
掲示板 参道
あれ あれ 何にも書かれてないな。→ →この参道石段を上ります。→

 

円徳寺3 円徳寺4
本堂 本堂
→本堂全景。→ →本堂正面玄関。→

 

円徳寺5 円徳寺6
本堂 本堂
→本堂に架かる半鐘。→ →本堂全景。→

 

 

 

桧原山 正平寺

宗旨  天台宗

本尊  阿弥陀如来

住所  〒871-0411 大分県中津市耶馬渓町中畑1422

正平寺1 正平寺2
桧原山由緒碑 桧原山由緒碑
桧原山由緒碑全景。→ →桧原山由緒全文。→

 

正平寺3 正平寺4
桧原山史跡案内図 各見所
→桧原山史跡案内図。→ →各見所説明看板。→

 

正平寺5 正平寺6
手水舎 手水
→手水舎全景。→ →手水の景色。→

 

正平寺7 正平寺8
梵字鳥居 梵字鳥居
→梵字鳥居案内碑。→ →梵字鳥居全景。→

 

正平寺9 正平寺10
梵字鳥居 参道
→正平寺石段上り口の鳥居は、山頂の桧原権現に寄進されたものであるが、島木の部分に佛を表す梵字(古代印度の文字)七字を彫刻しているきわめて貴重なものである。寛文九年(一六六九)建立。→ →参道石段を上り、本堂へと向かいます。。→

 

正平寺11 正平寺12
大木跡 大木跡
→参道石段を上りつめると、なにやら大木を切った跡が。→ →中には お薬師さまがいらっしゃった。→

 

正平寺13 正平寺14
石表柱 鐘楼
→九州四十九院薬師霊場 第十一番札所。→ →鐘楼全景。→

 

正平寺15 正平寺16
鐘楼 鐘楼
→鐘楼全景。→ →梵鐘。→

 

正平寺17 正平寺18
本堂 本堂
→本堂全景。右は神輿殿。→ →本堂正面の景色。→

 

正平寺19 正平寺20
本堂 本堂
→本堂に架かる 耶馬渓四国 第七十八番霊場 の表札。→ →本堂に架かる 九州四十九院薬師霊場第十一番札所 の表札。→

 

正平寺21 正平寺22
本堂 本堂
→約五年前に訪れた時は本堂正面に おみくじがおかれていたが。→ →今回訪れた際には なんだか すっきりしている。→

 

正平寺23 正平寺24
本堂 本堂
→本堂正面に架かる扁額。→ →本堂内正面の景色。→

 

正平寺25 正平寺26
本堂 本堂
→本堂内正面景色。→ →本堂内須弥壇の景色。→

 

正平寺27 正平寺28
本堂 本堂
→本堂内左側の景色。→ →本堂内右側の景色。→

 

正平寺29 正平寺30
本堂 本堂
→御本尊 阿弥陀如来 おん あみりた ていせいから うん 真言。→ →本堂内の景色。→

 

正平寺31 正平寺32
本堂 本堂
→本堂内の飾り物。→ →本堂内の飾り物。→

 

正平寺33 正平寺34
本堂 本堂
→本堂内の飾り物。→ →本堂内の飾り物。→

 

正平寺35 正平寺36
本堂 護摩堂
→本堂内の景色。→ →護摩堂全景。→

 

正平寺37 正平寺38
水子地蔵堂 水子地蔵堂
→水子地蔵堂全景。→ →水子地蔵 建てまいらせて供養せむ 幼く逝きし霊安かれと。→

 

正平寺39 正平寺40
水子地蔵堂 水子地蔵堂
→水子地蔵の面の可愛さ亡き吾子の姿と重なり瞼をぬらす。→ →水子地蔵堂内の景色。→

 

正平寺41 正平寺42
地蔵堂 地蔵堂
→地蔵堂全景。→ →地蔵群。→

 

正平寺43 正平寺44
地蔵堂 地蔵堂
→地蔵群。→ →地蔵群。→

 

正平寺45 正平寺46
薬師瑠璃光如来 薬師瑠璃光如来
→薬師瑠璃光如来立像。→ →薬師瑠璃光如来立像。→

 

正平寺47 正平寺48
神輿殿 神輿殿
→神輿殿全景。→ →中には三体の御神輿が据えられている。→

 

正平寺49
庫裏
→庫裏全景。→

 

 

 

 清澤山 厳浄寺

宗旨  真宗大谷派

本尊  阿弥陀如来

住所  〒871-0414 大分県中津市耶馬渓町大字河原口393

厳浄寺1 厳浄寺2
案内 参道
こちらに厳浄寺がありますよ。→ →この参道石段を上ります。→

 

厳浄寺3 厳浄寺4
山門 山門
→山門全景。→ →山門に架かる扁額。清澤山 と読める。→

 

厳浄寺5 厳浄寺6
本堂 本堂
→本堂全景を正面から見ます。→ →本堂全景を右側から見ます。→

 

厳浄寺7 厳浄寺8
本堂 本堂
→本堂に架かる 真宗大谷派 清澤山 厳浄寺 の表札。→ →本堂に架かる半鐘。→

 

厳浄寺9 厳浄寺10
本堂 本堂
→本堂正面の景色。→ →本堂内の景色。→

 

 

 

 唯心山 浄正寺

宗旨  真宗大谷派

本尊  阿弥陀如来

住所  〒871-0413 大分県中津市耶馬渓町大字大野1122-1

浄正寺1 浄正寺2
山門柱 山門柱
石段前に立つ山門柱。→ →石段前に立つ山門柱。→

 

浄正寺3 浄正寺4
石表柱 山門
→石段前に立つ石表柱。→ →山門全景。→

 

浄正寺5 浄正寺6
山門 山門
→左記 門柱の記 の内容が書かれています。→ →左記 山門落慶法要 表白 の内容が書かれています。→

 

浄正寺7 浄正寺8
手水 本堂
→手水を清めて。→ →本堂全景を正面から見ます。→

 

浄正寺9 浄正寺10
本堂 本堂
→本堂全景。→ →本堂全景を左側から見ます。→

 

浄正寺11 浄正寺12
本堂 本堂
→本堂に架かる太鼓。→ →本堂に架かる半鐘。→

 

浄正寺13 浄正寺14
本堂 本堂
→本堂入口正面。→ →本堂内の御本尊。→

 

浄正寺15 浄正寺16
境内 庫裏
→寺地堂宇移転記念碑。→ →庫裏の景色。→

 

 

 

 瑞信山 善正寺

宗旨  真宗大谷派

本尊  阿弥陀如来

住所  〒871-0405 大分県中津市耶馬渓町大字柿坂570

善正寺1 善正寺2
案内看板 掲示板
真宗大谷派 善正寺 柿坂保育園が境内にあります。→ →掲示板は園児達の作品が飾られています。→

 

善正寺3 善正寺4
石柱門 参道
→石柱門。→ →参道の脇に建つ石燈籠。→

 

善正寺5 善正寺6
山門 山門
→山門全景。→ →山門に架かる扁額。「瑞信山」。→

 

善正寺7 善正寺8
本堂 本堂
→本堂全景。→ →本堂全景。→

 

善正寺9 善正寺10
本堂 鐘楼
→本堂内の景色。このお寺さんでは経机の前で読経してはいけないとのご注意をうけましたので 参拝される方は気を付けて下さい。→ →鐘楼全景。→

 

善正寺11 善正寺12
境内 境内
→境内の景色。→ →境内の景色。→

 

善正寺13 善正寺14
境内 境内
→境内の景色。→ →境内の景色。→

 

善正寺15 善正寺16
白壁 白壁
→境内を囲む白壁。→ →境内を囲む白壁。向うに妙泉寺さんの鐘楼が見える。→

 

 

 

  妙泉寺

宗旨  真宗大谷派

本尊  阿弥陀如来

住所  〒871-0405 大分県中津市耶馬渓町大字柿坂571

妙泉寺1 妙泉寺2
石門柱 参道
石門柱全景。→ →この参道を上ります。→

 

妙泉寺3 妙泉寺4
山門 山門
→山門全景。→ →山門に架かる扁額。山号が読めない。→

 

妙泉寺5 妙泉寺6
山門 山門
→彫刻細工がされた門扉。→ →彫刻細工がされた門扉。→

 

妙泉寺7 妙泉寺8
山門 山門
→龍の彫刻がされた山門の欄間。→ →山門を境内側から見ると。→

 

妙泉寺9 妙泉寺10
山門 廟廊
→山門全景。→ →廟廊全景。→

 

妙泉寺11 妙泉寺12
廟廊 鐘楼
→廟廊入口。→ →鐘楼全景。→

 

妙泉寺13 妙泉寺14
鐘楼 本堂
→鐘楼全景。→ →本堂全景。→

 

妙泉寺15 妙泉寺16
本堂 本堂
→本堂正面玄関。→ →本堂に架かる「真宗大谷派 妙泉寺の表札と半鐘。→

 

妙泉寺17 妙泉寺18
展示瓦 展示瓦
→真宗本廟御影堂瓦 平瓦 縦53cm 横41cm 重さ12.7kg。→ →真宗本廟御影堂瓦 丸瓦 縦46cm 横23cm 重さ 7.1kg。この瓦は、真宗本廟御影堂 の明治期の再建の際、愛知県三河地方のご門徒より寄進され、以来百余年、風雪に耐え、宗祖親鸞聖人のまします 御影堂の屋根を守ってましりました。両堂の再建、。真宗本廟の崇敬護持にかけた多くの念仏者の願い、ご苦労が偲ばれます。→

 

妙泉寺19
庫裏
→庫裏全景。→

 

 

 

  万行寺

宗旨  浄土真宗本願寺派

本尊  阿弥陀如来

住所  〒871-0421 大分県中津市耶馬渓町山移3787

万行寺1 万行寺2
案内 鐘楼門
こちらに万行寺がありますよ。→ →鐘楼門全景。→

 

万行寺3 万行寺4
鐘楼門 鐘楼門
→梵鐘全景。→ →鐘楼門を境内側から見ると。→

 

万行寺5 万行寺6
境内 境内
→石灯籠。→ →石灯籠。→

 

万行寺7 万行寺8
本堂 本堂
→本堂全景。→ →本堂正面入口。→

 

万行寺9 万行寺10
本堂 本堂
→本堂に架かる太鼓。→ →本堂に架かる半鐘。→

 

万行寺11 万行寺12
本堂 本堂
→本堂全景。→ →本堂に向かって左側は銀杏の落葉で埋もれていた。→

 

万行寺13
庫裏
→庫裏全景。→

 

 

 

 小柿山 光円寺

宗旨  浄土真宗本願寺派

本尊  阿弥陀如来

住所  〒871-0422 大分県中津市耶馬渓町大字深耶馬1029

光円寺1 光円寺2
参道 鐘楼門
参道の奥に本堂、左に庫裏。→ →この参道石段を上ります。→

 

光円寺3 光円寺4
鐘楼門 鐘楼門
→鐘楼門全景を境内側から。→ →鐘楼門に架かる梵鐘。→

 

光円寺5 光円寺6
本堂 本堂
→本堂全景。→ →本堂に架かる扁額。「光円寺」。→

 

光円寺7 光円寺8
本堂 本堂
→本堂内の景色。→ →本堂内の景色。→

 

光円寺9 光円寺10
本堂 本堂
→本堂内の景色。→ →本堂内の景色。→

 

光円寺11 光円寺12
本堂 看板
→本堂内の阿弥陀像。→ →光円寺のしだれ桜 この寺は、開基・経林によって天文二年(一五三三)に建立された 浄土真宗本願寺派寺院である。願主は光円寺理才である。当初は玖珠郡八幡村志津里(玖珠町)にあったが、柿山村寺 小野(深耶馬)に移転された後、現在地に再建されたと伝えられている。一度焼失しており、現在の建物は江戸時代 後期の再建と思われる。また門前の石垣は、打込み接ぎと呼ばれる石の表面や角を打ち欠き、平らにいた石をなるべく 隙間なく積み上げる方法で築かれており、勾配のある反りが特徴である。このしだれ桜は、幹の太さ約三m、高さ約 十mあり、門前の市道上の十m四方に垂れ下がる。樹齢について記録は残っていないが、住職の話によると三五〇年 以上という。九州有数のしだれ桜の名所として知られており、三月下旬から四月上旬の開花時期に美しく咲き香る姿は 実に見事である。中津市指定天然記念物 昭和五十三年十二月一日指定 中津市教育委員会。→

 

光円寺13 光円寺14
光円寺のしだれ桜 しだれ桜
→春の開花時期に再訪してみましょう。→ →こちらのしだれ桜もかなり大きい。→

 

光円寺15
庫裏
→庫裏全景。→

 

 

 

  竜源寺

宗旨  真宗大谷派

本尊  阿弥陀如来

住所  〒871-0422 大分県中津市耶馬渓町大字深耶馬2580-1

竜源寺1 竜源寺2
全景 石柱山門
こちらに竜源寺があります。→ →石柱山門全景。→

 

竜源寺3 竜源寺4
鐘楼 鐘楼
→鐘楼全景。→ →鐘楼全景。→

 

竜源寺5 竜源寺6
本堂 本堂
→本堂全景。→ →本堂を向かって右側から。→

 

竜源寺7 竜源寺8
本堂 本堂
→本堂正面。→ →本堂に架かる「浄土真宗大谷派 龍源寺」の表札。→

 

竜源寺9 竜源寺10
本堂 本堂
→本堂入口。→ →本堂に架かる半鐘。→

 

竜源寺11 竜源寺12
本堂 本堂
→本堂内の景色。→ →本堂内の景色。→

 

竜源寺13 竜源寺14
本堂 本堂
→本堂内の景色。→ →本堂内の景色。→

 

竜源寺15 竜源寺16
境内 境内
→浄水。→ →梵鐘記念碑。→

 

竜源寺17 竜源寺18
境内 庫裏
→南無阿弥陀仏。→ →庫裏全景。→

 

竜源寺19 竜源寺20
景色 景色
→本堂よりの景観。秋の山は本当に美しい。→ →本堂の裏山。左手に大きな椋の木がある。→

 

 

 

  浄真寺

宗旨  真宗大谷派

本尊  阿弥陀如来

住所  〒871-0434 大分県中津市耶馬渓町大字樋山路2611

浄真寺1 浄真寺2
山門柱と本堂 本堂
石段上に立つ山門柱。奥に本堂全景。→ →本堂正面。→

 

浄真寺3 浄真寺4
本堂 本堂
→本堂入口正面。→ →本堂内の阿弥陀仏立像。→

 

浄真寺5 浄真寺6
本堂 本堂
→本堂内の景色。→ →本堂の御内陣。→

 

浄真寺7 浄真寺8
本堂 本堂/strong>
→本堂内の景色。→ →本堂内の景色。→

 

浄真寺9 浄真寺10
本堂 本堂
→恩徳讃 如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねを くだきても謝すべし  本当に自分を知るには やはり人という鏡がなくてはならない(高光大船)  呼び覚まされると いう意味が親鸞聖人にとって「信」の意味である(平野 修)。→ →悠々(ゆうゆう)と穢土(えど)に居られる世界を浄土という  安田 理深(やすだりしん)。→

 

浄真寺11 浄真寺12
境内 鐘楼
→境内の景色。→ →鐘楼全景。→

 

浄真寺13 浄真寺14
境内 境内
→境内のよく手入れされた松。住職のお話だと 以前はもっと先まで伸ばしていたが 維持管理が出来ない為これ以上伸ばすのを止めてるとのことです。→ →現在の住職の先代から引き継いだそうで、ここまでなるまで何年かかったかわからないそうです。→

 

浄真寺15
庫裏
→見事な松と庫裏全景。→

 

 

 

 峰城山 教円寺

宗旨  浄土真宗本願寺派

本尊  阿弥陀如来

住所  〒871-0432 大分県中津市耶馬渓町大字金吉66

教円寺1 教円寺2
参道 山門柱
だらだらとつづく坂道の参道。→ →参道を上りきった処の山門柱。→

 

教円寺3 教円寺4
鐘楼 鐘楼
→鐘楼全景。→ →鐘楼へ行くにも崖の横の道を進む。→

 

教円寺5 教円寺6
本堂 本堂
→境内に入ると本堂が見えます。→ →本堂全景。→

 

教円寺7 教円寺8
本堂 本堂
→本堂正面の景色。→ →本堂に架かる「教圓寺」の扁額。→

 

教円寺9 教円寺10
本堂 本堂
→本堂に架かる句表札「ともにいのちかがやく世界へ」。→ →本堂に架かる表札「浄土真宗本願寺派 峯城山 教円寺」。→

 

教円寺11 教円寺12
本堂 庫裏
→本堂に架かる半鐘。→ →庫裏全景。→

 

教円寺13 教円寺14
境内 境内
→親鸞聖人の御姿。→ →東屋があります。→

 

教円寺15
境内
→つつじの季節に再度訪れて東屋から見上げるのも一興かと。→

 

 

 

 松栄山 光円寺(横山)

宗旨  浄土真宗本願寺派

本尊  阿弥陀如来

住所  〒871-0432 大分県中津市耶馬渓町大字金吉1716-1

光円寺1 光円寺2
掲示板 石銘板
生者必滅(しょうじゃひつめつ)会者定離(えしゃじょうり)生まれたら必ず死にます  出会った人とは別れるのが定めです。→ →よく読めないがどうやら 真宗本願寺派で北山大納言が横山と改めた。本堂が焼けて しまったので再建する時に天井絵を書いてもらった というようなことが書かれているらしい。→

 

光円寺3 光円寺4
鐘楼門 鐘楼門
→鐘楼門全景。→ →鐘楼門を境内側より見る。→

 

光円寺5 光円寺6
本堂 本堂
→本堂全景。二〇一九年に建立二〇〇年を迎える。→ →本堂正面。→

 

光円寺7 光円寺8
本堂 本堂
→本堂内に掲げられた「領解文」。→ →本堂内の須弥壇の景色。→

 

光円寺9 光円寺10
本堂 本堂
→本堂内の景色。→ →本堂内の景色。→

 

光円寺11 光円寺12
本堂 看板
→本堂に架かる「光圓寺」の扁額と名工の格天井の書画。→ →光円寺格天井の書画 当寺の開基は、北山大納言実衡朝臣の次子左中将俊季朝臣。 南北朝の時、乱を避けてこの地に隠棲する。世人は北殿あるいは山浦殿と称していたが横山と姓を改める。 永録元年(一五五八)初めて一宇を建立する。文化十三年(一八一六)本堂が類焼されたが、三年後の文政二年(一八一九) 再建されて現在に至っている。再建に当たり住職は、当時有名な書画の大家を尋ね一枚ずつ書いてもらったと言い伝えられて いる。格天井の書画は、二三〇枚余りで中には竹田・淡窓・旭荘・亀井・五岳等の名士の書画が収められている。 (昭和五十三年十二月一日指定 有形文化財)中津市教育委員会。→

 

光円寺13 光円寺14
本堂 庫裏
→本堂に架かる半鐘。→ →庫裏全景。→

次は山国町を訪ねてみましょう。

地 域 別

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

門柱の記

 当寺は、嘗で大字中畑字富谷の地に本堂・庫裏・鐘楼堂を備え、念仏道場として相続されてきた。二十二世住職 釈鳳恵は時代の超勢を鑑み、大正十三年より昭和元年にかけて、門徒並びに地域各位の協力下で現在地に寺地を移転す。 しかしながら、釈鳳恵、本堂庫裏の落慶を見るもなお付帯工事を残し早逝す。

 後継釈克城、学業半ばにして二十三世を継職するも、時恰も軍国の世相強く兵役に応ずるところとなる。 復員後寺門の運営に意を尽くすも、戦後社会の激変は殊の外厳しく、本堂屋根の修復は長尺鉄板葺き工事に留まる。

 而して、昭和六十年釈法雄、門徒の要請を請け先住両師の懸案でありし「寺地整備・本堂屋根改修瓦葺替」の 事業を発願す。昭和六十三年春「親鸞聖人ご誕生八百年・立教開宗七百五十年並びに寺地移転六十周年記念事業」 として、寺門一同の慶びの中、一大事業の見事な円成をみる。

 時に、記念事業の委員長を務めし柾木久孝氏、本堂の改修事業が結実すといえども未だ山門なきを惜しみ、 長男茂秀氏の協力を得、山門に代わる門柱の建立寄付を発意す。

 この願いを受け「山門」の意味を門柱に託すべく、宗門存立の根幹となる「同朋会運動」の創始者ともいうべき 元宗務総長、訓覇信雄師に揮毫を請う。

 釈法雄、謹んで真宗本廟(本山・東本願寺) 山門の階上にご安置されし「釈迦如来・弥勒菩薩・阿難尊者」の 釈迦三尊に思いをいたし、釈尊の発遣により山門に入り、阿弥陀堂にて阿弥陀如来の大悲召喚の尊形にぬかずき、 御影堂に於いては宗祖親鸞聖人のご真影に直参聞法する真宗本廟の姿を顕さんと願う。

 師この意を快諾されて、大無量寿経の「汝自當知・非我境界の金言を似てお応え下さる。釈法雄、望外の 慶びとともに大いなるご教化を戴き、柾木久孝氏・茂秀氏父子の懸念も、又この金言に極まえりと確信す。

 後年、岩本糺・鈴子夫妻によって山門建立の悲願を達成するも、この金言と門柱が山門と一体となって、 当寺の聞法修道の基を永く開闡し続ける幸せを、訓覇信雄師三回忌に当たり、由緒と併せここに記すものである。

        合掌

 仏歴 二千五百四十三年 (タイ伝承歴)

 平成十二年・西暦二千年七月二十六日 二十四世住職 釈法雄 謹白

 門柱建立 仏歴    二千五百三十一年 (タイ伝承歴)

      仏成道歴  二千五百五十四年 (望月仏教辞典依用)

      昭和六十三年・西暦一九八八年  秋

 門柱寄進者 柾木久孝氏  柾木茂秀氏

山門落慶法要 表白

 敬って 浄土の救主阿弥陀如来 忍土の教主釈迦善逝 並びに十方三世一切の三宝に白して言さく 本日茲に  恭々しく尊前を荘厳し香華を拈じ 唯心山 浄正寺の三門新築落慶法要を厳修し奉る。

 ひそかに当山の由来を尋ぬれば 延徳二年(1490)長岩城主野中氏の一族永芳により 築上郡天和に一宇を建立 するを以ってその濫觴となし 後 津民村経読岳 岩下 當谷と寺地を移転し一山の堂宇を整え 宗旨を浄土真宗 に定め、門徒一同と共に念仏相続を怠ることなし しかるに 明治以来社会の変動甚だしく 時代の超勢と教化の進展を期し 大正十三年より昭和初年にかけて更に現在地に移転す。

 寺地移転より六十余年 教法の護持怠ることなく 寺域の整備に勤むるも三門及び鐘楼の復興には至らざるところ 今般 岩本 糺氏の厚き懇念によりて三門の寄進をいただきしは住職 門徒一同格別の慶びを致すところなり

 岩本 糺氏は 大野の旧家岩本家に生を受け 学業を終うるや直ちに大工修行の道に入り よくその技術を 習得せり 後独立し 戦後は中津市の公共事業を中心に 練磨したる大工の技術を以て社会に貢献す その間 鈴子夫人の急逝に遇うて一人の悲しみと 世の無常を感じ深く仏道に帰す

 当山三門の新築寄進は 永代に仏道修行の道場を荘厳し 篤く三宝に帰依するが人生の畢竟なることを広く 世の人々に訴うると共に 氏が夫婦相和して 共にこの人生を歩み得たる慶びの顕れなり 今 氏の甥 岩本 峯生氏の施工によりて見事に完成す。

 寺院における三門は 単なる人の出入りの門にはあらず 仏道修行の決意を新たにする処なり 生死の迷いより 解脱を求むる修行の場として 世俗の地を離れ清浄なる山中に寺院を建立したる名残として 山の号を称するを以て の故の山門と 仏の覚りに至るため 必要な三つの解脱を示す三解脱門の意あり 

 三解脱門とは 阿弥陀仏の尊前にぬかずき 又 仏の説きたもう教法を我が身に聞き開かんとする本堂に直参 するについて 迷いから目覚めんとする者の至るべき三つの境地 即ち 空 無相 無願を顕し 或は智慧門  慈悲門 方便門を顕す寺院の重要なる建物なり 仏道を尋ねんとする者 この門の入出にあたりて 常に覚悟を 新たにすべき処なり

 唯心山 浄正寺に仏道を求むる人々が この門を入り この門を出る姿によりて 施主の願うところ 永代に わたり広く世に承けつがれ 宝水愈々盛んに流れ息まず 普く化導全かならんことを 伏して乞いたてまつる

 三宝哀愍摂受し給え

  平成四年十一月十四日当

 唯心山 浄正寺 住職 釈 法雄 敬って白す