九州八十八ヵ所百八霊場 第百六番 眞光院
第百六番 二上山 眞光院
宗旨 真言宗 大覚寺派
本尊 大随求菩薩
住所 〒819-1631 福岡県糸島市二丈福井395-1
御詠歌 まことある みちをおしえて もろびとの まよいをすくう のりのすめらぎ
石表柱 | 山門 |
真言宗 大覚寺派 眞光院 の石表柱。→ | →山門を正面から。→ |
山門 | 山門 |
→山門に架かる扁額。→ | →山門の造りを見上げてみると。→ |
境内 | 境内 |
→聖観音菩薩立像。→ | →手水。→ |
五大堂 | 五大堂 |
→五大堂(護摩堂)全景。→ | →五大堂(護摩堂)正面。→ |
五大堂 | 五大堂 |
→五大堂(護摩堂)に架かる扁額。→ | →五大堂(護摩堂)内の景色。→ |
本堂 | 本堂 |
→本堂全景。→ | →本堂正面。→ |
本堂 | 本堂 |
→本堂に架かる随求堂の扁額。→ | →本堂内の景色。→ |
本堂 | 本堂 |
→御本尊 大随求菩薩 御真言 をん ばらばら さんばら さんばら いんだりや びしゅだに うんうん ろろ しゃれいそわか。→ | →本堂内の景色。→ |
本堂 | 本堂 |
→本堂内の景色。→ | →本堂内の景色。→ |
本堂 | 庫裏 |
→本尊 大随求菩薩 脇仏 三宝荒神 摩利支天。→ | →庫裏に架かる九州八十八ヶ所百八霊場百六番札所の表札。→ |
廟廊 | 境内 |
→廟廊全景。→ | →境内の景色。→ |
境内 | 境内 |
→清瀧水。→ | →施餓鬼石とお綱大明神。→ |
境内 | 境内 |
→施餓鬼石。→ | →お綱大明神。→ |
お綱大明神由来 | 境内 |
→御世に名高いお綱大明神と申すは黒田城主二代忠之公の近侍明石四郎左エ門の妻でありましたが忠之公は自己の妾を妻子ある四郎左エ門へ下げ渡し正妻のお綱様は箱崎の下屋敷へお供を連れて別居させ始めは仕送りもしていたが日を追うにつれてそれも絶たれた。時は寛永七年三月三日一般の家庭では雛祭りの最中 今日の貧しき生活の有様を見かねた下僕善作がその前日城内に行き主人に窮状を嘆願せるも何一つ受け入れられず城外に投げ出されその非情さに無念の涙で帰る途中奥様に申し訳ないと黒田家の菩提所である崇福寺の境内に於いて自害。その報せを聞かれたお綱様は世の無情を感じて狂気の如くなり二人の子供を道連れに刺殺した後身は白装束に包み薙刀小脇に博多の裏通りから城内に 忍び込み妾を刺殺夫を探す内門番役肥後の浪人彦五郎に片腕を切り落とされ門前まで来て精根尽き無念の最後を遂げられ亡霊となって夫四郎左エ門を狂死させた事蹟は今の世まで地元郷土人の語り草として伝わり後にその屋敷跡に小祠堂を建立しお綱大明神として祭祀され慰霊の供養祭が行われていたが福岡大空襲により被災。戦後縁あって当院に於いてお綱大明神を護持し祭神の恵みを後の 世に伝承すべく月並祭(三日)施餓鬼会大祭(八月二十一日)を厳修今も尚家庭円満を願い幸福を立願して遠近より御参詣されております。→ | →清瀧宮鳥居。→ |
清瀧宮 | 清瀧宮 |
→清瀧宮全景。→ | →清瀧宮内の景色。→ |
清瀧宮 | 眞光院全景 |
→清瀧宮内の天井絵。→ | →駐車場から全景を見る。→ |
次は九州八十八ヵ所百八霊場 第百七番 隆善寺に行きましょう。