地域 中津市福島
野仲山 妙相寺
宗旨 浄土宗
本尊 阿弥陀仏如来像
住所 〒871-0112 大分県中津市大字福島1949
案内看板 | 山門 |
野仲山 妙相寺 当寺開山は祐阿上人、法吊大愚上人天蓮社祐阿弥陀仏大和尚と 称し、嘉禄元年(1225)の開基である。法然上人源空遷化後十四年目に当たる。本尊は阿弥陀仏如来像。祐阿上人は 浄土宗第二代聖光上人の弟子、法然上人の孫弟子に当り 中でも有数の学僧であった。伝承によると当寺には 六月堂、閻魔堂があり、一町八反歩(17820㎡)の広大は境内と内濠、外濠が現存しているので昔は大規模の伽藍が そびえ、隆盛期の妙相寺が想像される。本堂の建物は明治十年の台風で倒壊したので規模を縮小し再建したものである。 現在本尊は中興の大徳 但阿胡月大和尚の霊夢により沓川の沖(現在の三毛門の辺)より門前の里人を伴い車に 奉じ帰り安置した仏である。時に天文四年(1935)六月十六日とある。仏師の鑑定によれば、東大寺仏師職に補せられた 快慶の作とも充分考えられている。寺宝に浄土曼荼羅、智光、清海、当麻の三幅がある。阿弥陀仏 観音菩薩 勢至菩薩 浄土三部経に書かれた極楽の荘厳をあらわしたもので 重要文化財として評価されている。住職は交替が 繰り返され、現在は先代碩定和尚の後二代目、五十三世住職新川俊明和尚が法燈をお護りしている。当寺は 県下でも由緒ある屈指の古刹である。昭和五十六年一月 三保の文化財を守る会。→ | →山門全景。→ |
鐘楼 | 本堂 |
→鐘楼全景。→ | →本堂全景。→ |
本堂 | 本堂 |
→本堂入口の様子。→ | →本堂内の景色。→ |
本堂 | 本堂 |
→本堂内の景色。→ | →本堂内の景色。→ |
高樹山 長久寺
宗旨 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
住所 〒871-0112 大分県中津市大字福島2174
山門 | 山門 |
山門全景。→ | →山門を見上げる。→ |
由緒看板 | 掲示板 |
→浄土真宗本願寺派 田丸山 長久寺 一、開基と歴史 応仁の乱の終わる文明 九年(1477)当時の地頭福島但馬守祐斎及び息女千代姫が廻国僧、天然和尚に帰依し、当寺を開基する。天然和尚は、 後に京に赴き蓮如上人の弟子となり釈浄祐の吊を賜り、再度九州に下った(1484)。これ以後、当寺は天然教化の豊前 防長の道場を統括し浄土真宗の発展に重要な役割を果たした。当寺の境内は福島田丸城跡である。豊前の国人一揆に 際し、宇都宮鎮房に呼応した賀来氏(大畑城)福島氏は黒田考高指揮の吉川広家、黒田長政の軍に攻撃された。 陰徳太平記には両城に於いて討取所宗徒の頭八百余級悉く獄門に掛けたと記されている。この時の城主は佐渡守 鎮充であり、天正十五年十二月末の事である。当寺は細川藩の時代に復興を遂げ浄土真宗の拠点として現在に至っている。 歴代住職の中、十六世道隠は薩摩の人で信仰上の大論争であった三業惑乱で大きな功績を上げた後、当寺に入寺したが 以後 豊前の地域に多くの学僧が輩出した当寺の十四世應忍もその一人である。また二十一世道忍は本願寺宗会 議長、宗務総長等を歴任した。 二、境内と諸堂 現在 境内地には自然林指定の山林と二重の堀を擁し 約一町二畝の敷地は落城時とほとんど同じである。本堂は天保九年(1838)、山門、鐘堂、経堂、石橋は享保元年 (1716)の創建である。 平成八年十月 三保の文化財を守る会→ | →娑婆(しゃば)に来て 無量寿(おや)に遇わぬは 夢なりし。→ |
手水舎 | 鐘楼 |
→手水舎全景。→ | →鐘楼全景。→ |
本堂 | 本堂 |
→山門から本堂を望む。→ | →本堂全景。→ |
本堂 | 本堂 |
→本堂入口正面。→ | →本堂に架かる半鐘。→ |
本堂 | 本堂 |
→本堂内の景色。→ | →本堂内の景色。→ |
本堂 | 本堂 |
→本堂内の景色。→ | →本堂内の景色。→ |
本堂 | 本堂 |
→本堂内の景色。→ | →本堂内の景色。→ |
経堂 | 境内 |
→経堂全景。→ | →親鸞上人像。→ |
境内 | 境内 |
→親鸞上人像。→ | →境内の景色。→ |
境内 |
→境内の景色。→ |
次は北原を訪ねてみましょう。